大切に歩く vol.2

 散歩の話の続き。散歩道はいつも歩いている海まで続く道のり。片道35分。鎌倉に移り住んでからは、この道を何度も使っている。鎌倉は多くの観光客とすれ違うが、ほとんど、歩いている人は見かけない。葛原岡神社を抜け、銭洗弁天の急な坂を下り、海を目指す。僕はシダ類が好きで、壁にぎっしり詰まった、そのシダ類や苔を見て歩く。


 

 北海道育ちの僕にはあまりこのシダ類を目にする事がなく、初めて見た時は古代にタイムスリップしたような感覚にされたものだった。


 シダが好きなのは、葉の形がとても綺麗なところ。植物を見ると全体像で見るのとミクロで見るのでは、印象が180度違う事が多い。シダも鬱蒼としているイメージが強いが、一枚一枚の葉はとても洗練されたデザインになっている。しかも一つ一つに個性があるように感じてしまう。植物全般が好きな理由はそうしたところだろうか。

 10年以上前に、早稲田大学で環境プランナーを取得した。当たり前だが、環境プランナーでは環境の素晴らしさを教えてくれる人はいない。(そもそも興味がある人が集まるからかもしれないが。)こうしたものの見方を教えてくれる人は音楽もそうだが、少ないように思う。

 尊敬する知人が僕にいう。「マクロとミクロの両方の感覚を備えなさい。そうでなければ、大切なものを見落としてしまうよ。」と。

 どうしても音楽の話になってしまうのだけど、曲は全体、パートであったり、フレーズであったり、そのためのテクニックであったり、マクロとミクロを大切にしている。でも空間であったり、パンフレットの肌触りであったり、もっというと、その空間にたどり着くまでの道のりすらマクロの出来事であったりする感覚を持っている人は意外に少ない。僕が鎌倉が好きなのは、駅から降りた次点で既に街がお寺の雰囲気が漂っているから。既に、お寺に行くまでに心が準備できる感覚が好きだから。

 だから、両方とも見失わないように。そうどちらも大切にするようにしている。見落とさないように。


 ほら、そうすると今育とうとしている小さな小さな息吹まで感じる事ができるよ。