大切に歩く vol.3

 散歩の続きのお話。由比ヶ浜。人は出ているほうだ。海は人を慰めたり、解放してくれたり、はたまた悩み事を考えるのに最適という人もいる。多くは、どれということもなく、人一人にしても、そうした様々な気分で海を眺めているのだろう。僕もその一人にすぎない。

 幼少から高校を卒業するまで住んでいた北海道は海に囲まれているにも関わらず、海の近くに行く事は少なかった。車という交通手段がなかったというのもあるだろうし、北海道の夏は短かった。1ヶ月も保たない。だから海水浴に行く機会もめっきり少なかった。まさか、こんなに日常で海の近くを歩く日が来るとは。

※風の音が強いので、再生の際はお気をつけください。


 砂浜。海と一転してこの砂浜は無常のように思う。一時たりとも同じ風景を形成する事なく、また一砂に至っては形すら変わってしまう事だろう。しかし、そうした性質が無性に羨ましく、愛おしい。

 音楽もまた、こうしたものなのではないかと思う。とても便利な世の中になったもので、過去の偉大な演奏家の音楽を手軽に聴ける時代。それを守ろうとするのもまた自然の流れ。

素晴らしいものは残したくなるものだ。しかし、それは自然ではない。自然の音は儚く消える。無常だからこそ愛おしい。多くの人は偉大な演奏家の真似をする。CDのように。でも、自然はその場所を生かして様々な風景を見せてくれる。音もそういうものなのではないかと思う。風がその風土によって違うように。


しかし、そうあるべきとも思わない。音楽とは固執するものではないし、当たり前だが、人ぞれの価値観があって楽しめるものなのだから。

 砂浜を歩いていると昆布を採っている地元の人がいる。そのお年寄りに声をかける若者。昆布をお裾分けする老人。鎌倉は、そうした柔らかな人との関わり方を思い出させてくれる。

 この由比ヶ浜は噂によると昔は合戦などの場所だったとか。800年以上も前の話。これから800年経ったあとは、どのようになっているのだろうか。この海を見るとそんな思いになる。

 時代と共に感性も変化する。現代に生きるものしか現代の音楽は生み出せない。

 この数日、それを思い出させてくれた。尺八と初めて出会った頃、曲いうものも知らず、音を心から求めて楽しんだ自分。好奇心旺盛に誰にも学ばず、玩具のように遊んだ自分を。たくさんの表現をたくさんの人から頂いた。そしてもう一度、子供のように戻りたい。昔、家族で海水浴をした時の無邪気な自分のように。

帰り際、二羽の海鳥が。可愛らしく遊んでいる。海にピチャピチャ足をつけて。

一息ついて家に戻る。さっきの老人に自分も昆布を貰えば良かったと思いながら。