音を楽しむ vol.1 幼少編

最終更新: 5月13日

 先週、風雅竹韻のラジオ収録を行った。その際に尺八を始めたきっかけについてお話ししたので、少しその話を織り混ぜて。まずは生い立ちから。

風雅竹韻のラジオはこちらから。→ https://www.youtube.com/watch?v=-VJez_Ygqs4


 僕は音が好きだ。ブログで書いてきたように色々な音が好きだ。それは、尺八を持った時から始まった。その反面、いつからだろう、この音は正しくて、この音は間違っている。そんな価値観を持ってしまったのは。今回は、その価値観を壊す物語。それには少し生い立ちから、話した方が良いと思う。


 幼い頃、多分、僕は相当変わっていた子だったと思う。小学校1年生の頃、「1+1=2」が理解できなかった。林檎の大きさはそれぞれ違うのに、林檎1個と林檎1個を合わせるとなんで2個になるのか。言われた通り、テスト用紙に記入をすれば、良い点が取れる。

だから、1年生はなんとかしたのだけど、その頃の母は教育熱心で2年生の頃には勉強、学歴社会を放棄してしまった。とにかく、小学生の時は自由に遊んでいた。みんなでサッカーや探検。人の庭に秘密基地を作ったり、もちろんファミコンも。

 そんな目の前の幸せに明け暮れる毎日。僕は小学校5年生の10月に同じ札幌市内で転校をした。父には二つの夢があった。札幌の良い土地に一軒家を持つ事。そして、もう一つは自分が勉強した勉学を励める環境に自分を入れる事。僕は父と同じ中学校に入るため、その区域内に引越しをしたのだ。

 自由な人を大切にする学校だった前の学校に比べて、転校した学校では皆、偏差値の話などをしたり、先生も勉強ができる生徒を可愛がったりと(僕の担任は違ったのだけど。)余計、勉強には興味がなくなってしまった。

 そこで出会ったのが、尺八だった。その当時、まだ一軒家が経つ前で、父の会社の寮のようなところに住んでいた。昔ながらの押入れがあって、僕はその押入れで宝探しをするにハマっていた。そこで見つけたのが尺八だった。従兄弟が使っていた尺八(木管製)だった。

今、考えてみると、なぜ従兄弟の尺八がうちにあったのだろう。

 とにかく、その尺八に魅了されてしまった。理由はわからない。学校以外は半年くらい尺八とわたむれた。習い事をした事がない僕が親に初めて習いたいと志願したが、なかなか許可が降りなかったので、仕方なく自分で必死に音を出そうと頑張った。そして初めて音が出る時がやってくるのである。多分、楽譜にない音。「プッ」「スッ」のような音。僕は歓喜した。開放感と快感に酔いしれた。これが僕の尺八の始まり。

 その後、やっと先生に習いに行くのだけど、実は習ってみるとつまらなかった。正座で足が痺れるし、過呼吸でくらくらするし、周りはおじさんだらけで僕の年代がいなくて話せる人がいない。忍耐もないから先生によく根性なしと言われていた。でも初めてその先生、金子繍山先生のお宅に伺いお願いした時、尋ねた事がある。「先生、尺八で食べていけますか?」先生はどうだろうなと明るく笑っていた。できるもんならやってみろ、そんな気軽な笑顔が、後々よし!と思えるようになるのだけど、その頃の僕には知る由もない。

 中学校で生徒会をしたりと他に楽しみを覚えてサボりがちだったのだけれど、それでも人生で唯一続けていたのが尺八だった。生徒会はしていたけど、僕の勉強放棄はまだ続いていた。興味がなさすぎて、高校に入るのに厳しい試験があるという認識がなかったくらいだ。

 そういうわけで、高校は当時、不良か運動系の部活が得意な人がいく、男子校に通った。(今は共学で偏差値も高くなってきているのだけど。)その学校に入った理由は私立大学の付属高校だったので、学年何位以内であれば推薦で大学に入りやすいという条件があったからだった。それもあって、とにかく高校1年は勉強した。両親も喜んでいたと思う。やっと勉強をする気になったのかと。大学の事も調べた。ところが、そう。大学を調べたのが良くなかった。大学に入りたい科目がなかったのに気がついてしまった。将来、自分がサラリーマンになるの??公務員になるの??それはないんでない?と自問自答して、人生に絶望した。人生終わったと思った。

 そうした生活を送っているなか、高校2年生になる頃、突然気づきが訪れた。12歳くらいの頃、「オネアミスの翼」という映画を見て以来、坂本龍一さんが好きだった。そうだ。坂本さんと同じ大学に行こう!!本気でそう思った。東京芸術大学である。

 僕は早速、担任の先生に話した。担任の先生と仲が良かった英語の先生以外はやってみればという感じだったが、他の先生は誰一人として僕の事を相手にしていなかった。受かるわけがない。そう言っていた。

 必死に考えた。どうやったら入れるのだろう。芸大の情報は全然手に入らなくて、赤本もないし、札幌には情報も入ってこない。でも、何か考えなくては。

 建築、デザイン、従兄弟に習って長唄(後々、思うのだけど、従兄弟も芸大だったので、聞けばよかったのに、そういった頭は全く回らなかった。)、尺八。

 こんな言い方をすると失礼だけど、なんとなく尺八が長く続けていたし、入りやすそうだと思った。勘で。入ってしまえばこっちのもん。そんな感覚だったと思う。めちゃめちゃ失礼極まりない。そうして高校2年生から二代目北原篁山先生の門下として、東京に通うようになった。先生に教えていただけることは都山流の本曲、地唄。宮城道雄先生作曲の曲。北原先生の音は昔ながらの柔らかいフワッとした心地よい尺八の音色だった。先生に教えて頂いた事は、今まさに宝物のように思う。

 そうして努力の甲斐あって、東京芸術大学に合格する事ができた。高校の先生方は「最初から受かると思っていた」と万遍の笑みだった。先生って怖いと初めて思った。


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