音を楽しむ vol.3 音楽活動再開〜現在編

 音楽活動が起動に乗り始めた矢先の二十代後半、メニエール病にかかり音楽から遠ざかっていた時期があった。ハウリングのように周りの音が聞こえないだけでなく、目眩にも悩まされた。その当時は本当に夜遅くまで音楽をしていた。寝不足や録音での耳の疲労が招いたのだと思う。音楽を止める事を余儀なくされた僕は、韓国で日本語教師をしたり、その後、会社勤めをしたりする。

 数年が経ち、もう一生音楽を仕事にする事はないなと思っていた。しかし活動を再開するきっかけが訪れる。2011年東日本大震災。何か復興のためにできないものかという思いの中で、芸大の友人からチャリティーコンサートの声がかかった。もう6年以上、音楽から離れていた。耳の事もあったので、本当に迷ったのだけど、一緒に演奏する事にした。ちゃんとした場所での久しぶりの演奏は緊張と興奮だった。そして、あらためて音楽の力はすごいなと感じた。心から音楽をもう一度始めたいと思った。

 まずは、小さいカフェ(吉祥寺にある麻よしやすというカフェ)で演奏を開始した。もちろん当時のようにはいかない。でも本当に楽しかった。


写真:演奏活動再開当時、カフェの麻ヨシヤスで。


 このままでは不味いと思い、恥を忍んで、大学の時の先輩である藤原道山先生に稽古をお願いした。先輩とか後輩とか関係なく、石にでもかじり付いて上手くなりたいと思った。それが、今でも続いている。道山先生は僕にとって、先生であり、先輩であり、お兄さん的な存在だ。

 一方、当時住んでいた東京から鎌倉への移住を決意した。20代はお金を稼ぐ事ばかりを考えて尺八をしていたのだけど、違う原点を探りたいと思った。禅の発祥の鎌倉で、禅の楽器である尺八を発信する。ペニンシュラの演奏などの話もあって、強く決意した。

 鎌倉に移り住んでからは試行錯誤の日々だった。もちろんいい出会いにも恵まれているし、その分、大きな失敗も沢山した。人との出会いもあれば、離れてく人も多かった。

 そんな中、自分の中で一つの兆しを感じる出来事があった。藤原道山先生からの依頼で現代音楽で尺八を吹く機会を頂いた。その曲の中で地無尺八(江戸時代の虚無僧が使用していた尺八で、現在の尺八の内管に漆が用いられている一方、地無尺八は竹の節をくりぬいたもの。)を演奏する事があった。もともと、海童道(ワダツミドウ)が好きだったのだけど、地無を持ったのは初めてだった。音色や響きに魅了されるのに時間はかからなかった。

 その1年後くらいだろうか。人の縁で地無尺八を習う事になる。

 先生の名前は奥田敦也先生。知識も情報も豊富な方で、哲学的な話もとても気が合った奥田先生が教えてくれる地無尺八の世界は、今の僕の価値観を外す役にとてもなっている。地無尺八で吹く曲、古典本曲は、基本はあるものの、固まった演奏スタイルがないという事だった。(言葉で説明するのが難しい。)ジャズ的な感じと言えばいいのだろうか。今まで、固められた楽譜でしか演奏してこなかった僕には、この価値観を崩すのに相当時間がかかった。誰かの音源を聞くのも大事だけど、真似事ではない音を探すのには今でも苦労する。

(逆にいうと一度たりとも同じ演奏をしたくないくらい。)そうした練習が続いた。

 1+1はどうして2なのか。僕は練習の中で小学校に思った事をふと考えていた。人間が理解しやすいように勝手に脳がカテゴライズするように、音も勝手に良し悪しを決めてしまう。それは習慣であったり教育だったり、情報であったりするのだろうけど、本当にそれは意味があるのか?そう思うようになった。自然の虫の音、風がサヤサヤする音、鳥の囀りを聞いた時、良し悪しなんて誰も思わない。(鳥はあるかもしれないが。)

 今の音を大事に失敗も成功もなく楽しむ。それが音の楽しみ方だと僕は思う。それが集中する事で当たり前の事なのかもしれないけど。そう思いながらも、実は演奏活動は悩んでいたのだけれども。

 実は、この2年くらい自分での企画した演奏はしてこなかった。地無尺八の世界に没頭したというのもあるし、音楽とはなんなのか答えが出なかった。それでも僕は運がとてもいい。すごく悩んで落ちた時には必ずといっていいほど、気づきの言葉を誰かからもらう事ができる。去年の12月に僕はある方がぼそっと言った言葉に感銘を受けた。


「結局、自分が好きな音を奏でるのがいい。」


 心の霧が晴れる思いだった。誰が何を言おうと僕には沢山好きな音があった。それがたとえ結果的に雑に聴こえてしまったり、西洋的なアプローチではう〜んとなる音でも、心から好きな音を僕はずっと抑えていたのだと気がついた。

 1月に入って、やりたい事への準備に入る。「禅の響」の企画であったり、団体立ち上げや、ホームページリニューアルも含めて本当にあっという間の時間だった。

 4月に入って、自分の好きな音探しを本当によくしている。(結構楽しくて死に物狂い。)地無尺八を作る際もすごく楽しい。

 そのキッカケとなったのも、またご縁があって生まれたのも、5月12日に発表された坂本龍一さんのseries - incomplere "時光 Jiko"だ。(坂本さんには自分を引き出して頂いて、本当に感謝しています。←ここ敬語)  音を楽しむ。それは僕にとって、様々な生き方で見つける事ができたものだった。尺八の音も、何か一つ人生でかけていたら、今の音にはなっていない、とても大切なもの。そして、今、やっと楽しむスタートラインに立っている。

 日々の生活は変わらない。でも、この音いいな。この景色綺麗だな。この映画いいなと好きなものが増えていく日々。芸術家は理解が深いから不幸だななんて言う人もいるけど、僕はそうは思わない。

 芸術はいつまでも自由だと思う。